ババアは1日にしてならず

少女がババアになるまでの日記

さようで

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僕は運命のひとを見つけてしまった。

 

 テレビの砂嵐のように混沌としていた僕の人生だったが、運命のひとを見つけたあとからその砂嵐の中に模様や絵が浮かんでくるのだ。人生には意味があった。今の僕にはそう思える。
 だが僕は運命のひと、彼女の顔を覚えていない。名前も、歳も、声も知らない。
 覚えているのは目の下に茶色いホクロがあることだけだ。それでも僕には十分だった。そのホクロのことを強烈に覚えていたから、また会ったときには、すれ違っただけでも、彼女だと認識する自信があった。僕は上機嫌でカップ焼きそばを作っていた。かやくを入れる。次会ったらなにを言おうか。お湯を注ぐ。いつ会えるのかもわからないのだから、毎日おめかししなきゃな。そうだ、あの人に会えるかもしれないなら、毎日外に出よう、ルーレットはたくさん回したほうがいい。ああ、日々ってこんなにわくわくするものだったっけ。3分経った。お湯を捨てる。ふたをベリベリと剥がす。僕の人生は、僕の日々は…そう考えながら茹だった麺の蒸気を吸い込んだ。すばらしかった。
 カップ焼きそば作りは終わろうとしていた。僕は最後のソースに手をかけて、袋をぶちりと切った。そのとき勢いがよすぎたのか、ソースが少し飛んで、僕の顔についてしまった。これはいけない、手にも少しついた。とりあえず袋から溢れそうなソースを麺にかけて、僕は洗面台へ行った。
 …しかし、おかしい。鏡を見ると、僕の顔にはソースなんてついていない。手にはしっかりついているのに。パニックになった僕はべとべとしたままの手で自分のきれいな頰を撫でた。茶色いソースがわけのわからない模様を作る。
僕は気づいてしまった。僕の目の下にあるホクロのようなものが、ソースだったのだ。わけのわからない模様とそのホクロだと思っていたものは、まったく同じ色をしていた。
 その瞬間に僕はまた海へほうり投げられたような不安に襲われた。もう人生も、日々もきらきらしなかった。あのひとが僕の運命のひとであるという証拠が、焼きそばのソースだったらどうしよう。テレビの砂嵐はもう絵にならない。僕は茶色いまま、冷めたカップ焼きそばを食べた。

 

 

 

短い小説でこんばんは〜たまごです。出会ってる?このブログを読んでるあなたとは確実に出会ってます。今夜もトロットロに吐露しますのでよろしくお願いします。

 

人生のなかの様々な選択に正解をつけたくなりませんか。

ものを買ったら会計をするし、テストをすれば丸をつけるし、知らない言葉の前に立ったときは辞書をひくし、恋人に「わたしのこと好き?」とか聞いちゃうし、ほとんどのことには正解らしきものや事実っぽいものがある、もしくはなかったとしてもあるように見せかけてくれるんですけど、自分がした決断、選択、その結果である現在の暮らしの充実度について答えを出すのは自分しかいなくて、誰も教えてくれない。なにが正解だったんだろう?と考え始めると立ち止まってしまいますよね。

選択は0か1か、白か黒かであっても、その先の人生、暮らしが二進数とかモノクロ写真になるわけないから、あんま考えすぎるなよ〜って自分に言い聞かせながらコーヒー飲んでます。人によっては何を言ってるかわからないかもしれませんごめんなさい。

 

過去のすべての選択は間違ってなかったのだと、そう思えるように尽くすしかない。正解だと思うほうに歩きながら、正解を考えていかなきゃいけない。すべての間違いは必要だったのだ、そう思うことで正解になるように。