ババアは1日にしてならず

諸行無常の意味はない

さしすせ

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生きとし生ける現代人


徹夜明けの粗末なファストフード店で
飲んだ水は疲れて熱をもった喉を
確実に冷やしながらすべり落ちる
ああなんだわたしって生きてた
死にかけのような目のくま
こんなになるまで気づけなかったのか

鈍りすぎてしまったのかもしれないな
危機というのはつまり生きるために感じるものだし
平和なのか
とげとげに張り巡らせていた神経は
いまは丸く
ツヤがあるほどだよ
だからさわっても 痛くないよ
わたしにさわってよ
ねえさわってよ
客は知らない男が3人だった
ねえ


(さみしい)

 

 

さしすせ走馬灯〜たまごです。カラオケオール明けで脳のパフォーマンスが最低なときに彼氏からの連絡待ち遠しく書いた詩。月日って無慈悲すぎませんか?もうそのへん中原中也が書いた「汚れっちまった悲しみに」で簡潔に語り尽くされてる感あるけどそのことを詩にせずにはいられない人たくさんいるはず、だってほんとに清々しいほど残酷なんだもん…ドラえもぉん。あと画像は文化祭のあとどれだけ急げばナカノは4番さんのライブに間に合うか計算してたときのメモ。結局無理のニオイしか漂わなかったので断腸の思いで文化祭を楽しみましたとさ。

例えばクジラやイルカが哺乳類ながら海で生活できる形になったり、ゾウの鼻やキリンの首もアホみたいに長かったり、あの手この手で創意工夫して生物は多様化してきたけれど それってなんのためかと言われたら生きるためただそれ一点だと思うわけ。そう考えたら、人間とて同じなんじゃないか?と思うわけ。嘘くせえ顔したカウンセラーが「多様性を認めるってことよ、わかる?」とか言うくらい人の性格もハンパねえ多様性があって、じゃあなんで多様化してきたか?生きるためじゃないかしら。例えば虐待をうけていた子供が無感情な人に育つのは、感情を持っていたら辛すぎて生きていけなかったから、感情を無くすというある意味自分がラクになる選択をしただけで、苦労のしすぎで考え方が偏った人は、考えるのを減らすことでよりラクに苦労を乗り越えたのではないか。ストレスは精神的あるいは肉体的な病の原因になるから避けたいのはあたりまえ。

江野スミさんの漫画で 強い試練を乗り越えるには強い肯定が必要だ、と神水まなむがしゃべってたことも、また、ラブホスタッフの上野さんが 人間はラクなほうにしか行けない、と言っていたことも、つながってくる気がします。じゃあほとんどは偶然じゃなくて必然?そうかもね、パラレルワールドの先に行っても、元の世界とそこまで変わらないことがほとんどだから。