ババアは1日にしてならず

少女がババアになるまでの日記

へるぷみ

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     母の背中


重たいものを右側に持ちすぎた
母の背中は右上にかたむいている
ご存知だろうか人間は
重たいものを片側にもつと
反対へと身体をかたむけるのだ
つりあいをとるために

いらないものを知りすぎた
わたしの頭はゆがんでいる
ご存知だろうかムスメというものは
母親に似ずにはいられないのである
なにかのつりあいをとるように

そんなにわたしが嫌いなら
産んでくれなくてもよかったのに
と、言いたくなるときがある

母がそのときなんと言うのか
なんとなくわかってしまう
「わたしだってね
産まれてきたくなどなかったのよ!」

だから毎回のみこむその言葉
きっと母もそうだったのだろう
わたしは母といちばん仲が悪く
いちばん母に近い人間だった

 

 

そうみんな愛すべき愛されるべき人間のはず、どうもたまごです。愛して!

 

芥川龍之介だったかな、「もうじき死ぬとわかったときに見える景色はすべて美しいのです」とか言ってた人。そういえば自殺しようと本気で思った「あの日」から夕焼けや遠くの街灯がすごく美しく思えるようになりました。曇りが好きだけど、最近は晴れの日もまあ悪くないなと思えるようにもなってます。景色は毎日きれいです。バスでも電車でも、まるで諸行無常を体現するかのような速さで流れていく窓外の景色ばかり眺めています。

 

「あの日」というのは私がDTM始める直前でもあります。これを表現したい、と思い始めたから今日のわたしがある。音楽と言葉に救われてきました。

みんな なにかに救われたがってるように思います。それは音楽だったり、勉強だったり、恋人だったりすると思う。デフォルトで苦しいのが人生、ヘルプミー!

 

受験戦争まっただ中ですが、受験もそうだし社会の仕組みも同様で、どこも利己主義ですね。というか、それが生物として当然の姿のはずなんですよ。いきものは自分の利益にならないことをしない法則があるらしいです。「種」という大きな仕組みのために生きるのではなく、自分のために生きているのです。

イギリスのEU離脱から始まって、今はアメリカ大統領の話題でもちきり。世界が自分至上主義にうごいているような。日本もいずれそうなる気がしてなりません。そもそも、排他的に利己主義的に色んな仕組みができているのに、国だけ「平和!」つってもどこかで摩擦がおきるんじゃないでしょうか。アホなので事実も知らないし比喩で固めます。無責任なのがこのブログのいいところってことで

 

大きいスケールで話をされても、当事者意識はもてないんですよね。これからはどんどん小さいスケール主体になっていって、自分を幸せにすることを大切にする社会になるのでは…いいや、そうなってほしい。

師走は忙しなく

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【重音テト】 アイスクリーム 【オリジナル】 by tamaGO VOCALOID/動画 - ニコニコ動画

 

いつも月に1つしか書かないことにしてるんですが、めちゃくちゃ語感いいタイトル思いついちゃったから番外編みたいなかんじなら許されるかなーってまあ許すも何も誰もみてないんで自分のこだわり折ればいいハナシなんすけどね。どうも師走です。忙しないです。

 

と、いうのも。まずは新曲が伸びすぎてめっちゃヤベーってのと…なんか恥ずかしくて汚らしいことがあったのに、それを記したくてしょうがないときってありませんか?わたしはあるんです。

しかしさすがに直接的に書くのも抵抗をかんじて、どうにか抽象的に表現できないものかなと。具体的なことは個人的な日記にしるしておきます…ああホントはずかしい。

 

たった1人、その1人と深く関わっただけでジブンこんなにも変わっちゃうのかよ、ガッカリだよ!という早い話絶望というか呆れというか。例えたらなんだろう、カリスマ性のある女の子と仲良くなって、憧れからその子の使ってる化粧を真似したら、今まで化粧をしなかったツルツルの肌がクソ劣化した、みたいな。元彼がすごく変わった手のつなぎかたをする人で、それが当たり前になったから他のつなぎかたをすると違和感があり今の彼死とうまくいかない、みたいな。いやさすがにそれは言い過ぎか。

「自分にとって異物」を受け入れる瞬間、カラダやココロのどこかしらが軋むはずだと思ったのです。ヒビが入ったり傾いたり。それは「荒れた肌」のように目に見えることもあるけど、「違和感」という目に見えない状態で現れることもある。めんどくせえ。それらの異物を軋み歪みながらも受け入れてきた。みんなそれぞれ違う異物を吸収してきたから、みんな個性的な歪みかたをしてるんだなー。簡単に歪んできました。身体も心も。

1度ゆがみ、時間の経ったものが簡単にまたゆがめるのかな。鉄は熱いうちに打て、人は若いうちに変われ。簡単じゃなかったとしてもそれでも、ゆがむしかないんでしょうね。でも大丈夫いままでだって簡単だったじゃないか!ね

 

こうしてゆっくり壊れてくのが人生?これらのことホント比喩でしかないのでアテになんないんすけど、そういうことがミルフィーユみたいに重なってるのが人生だとして。愛すべき人生だなって思いました(ぜんぜんおもってない)そろそろ日が出てきたのでやめましょう。コーヒー飲むか〜

ぜつぼう

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あなたが好き
それはまるで
絶望


それはまるで
いくら鳥を食べようと
お前は空を飛ぶそれのようにはなれない
と 告げられた猫のよう


あなたが好き
わたしは絶望
それはまるで


いいえただの
絶望

 

 

写真は自作の肉じゃがです結婚してください!えー最近これを書くのもそろそろ小っ恥ずかしくなってきました。たまごです。死んだ後に知り合いに発掘とかされたら本当たまったモンじゃないから、自殺するときがきたら必ず消去するリストの中に入れときます、赤字で。そうですね1番人に見られたくないものは…男共とのLINE履歴をいちいち保存したフォルダだ。これ本当に恥ずかしい。

過去への執着がハンパじゃない女として自分の中で有名なたまごですが、逆にみんなどうやって過去の自分と袂を分かっているのですか。年齢を重ねる毎に広がる小鼻の毛穴とか、算数を知った途端に打算的になる小遣いのつかいかたとか、いや算数はさすがに知っとかなきゃマズイけど、知ることによって失うものって必ずあるし、失ってまで知りたかったものなのかをジャッジできるのって知った後なんですよね。…悲しくね?

 

それでもおれはここにいる。アイスクリームが溶けるミュージック動画を年中に投稿します。おれたちみんな溶けてく身体を舐めるようにして生きてるの!

I scream aisiteru

いましめ

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解決策のないダメ出しほど自分に堪えるものはない。

なぜ死にたいという気持ちを持つようになったのか私は人生の主題のようにゆっくり考えてきた。その原因の根源さえ掴めれば、抜きとることができるのではないかと思ったからだ。
しかし考えてみてわかったことはどうしようもないことばかりだった。


私が死にたいと思う理由のひとつに、自分がいま立っている場所は自分が本来行きたかったところと比べると物凄く遠くにあり、もう今からそこを目指すなんて並みの人間の頭で考えれば到底不可能な地点にいるんだという絶望がある。別の人間が考えれば不可能じゃないかもしれないが、私の脳は不可能だと判断してしまう限り、私にそれは不可能なのだ。人間、もうダメだと思ってしまったところから失敗は決まっている。それは自己分析の精密さと、思い込みとの二重関係で成り立つ方程式だ。


ならばその思い込みを変えればいいじゃないか!という人のことは積極的に肋を折ってやりたい所存である。「思い込み」という感情や思想、意思は「人格」から成るものだ。また、その人格は「記憶」から成る。記憶は「過去」から成る。掘り返してゆけば全てが違う人間なのに、同じシチュエーションに立たせただけで、おれは簡単にできたのだからお前だって簡単にできる、できないのならお前は簡単な努力すらしてないということだ、みたいな暴論をふりかざす人がいる。めっちゃいる。気持ち悪い。肋を折りたい。
まあでもそんなふうに、暴論を持つ人のことをこんな恨んでしまうあたり、本当は彼らのことが羨ましいだけで、妬んで願った末に弱っている自分がよくわかる。あの人たちのように「なりたい」と思っているのだ、わりと切実に。しかし諦めが99%を占めているからこれだけ悲愴的なのだけど。
ならば諦めを99%たらしめる理由が絶望の他にもあるはずだ。そしてこれに気づいて私は更に絶望し爆笑することになる。


「無常」という世界観をご存じだろうか。松尾芭蕉を筆頭として日本の詩人ほとんどがひっさげる世界観。この世の全ては移ろう、永遠などない、というクソ根暗ネガティヴな世界観である。私はその世界観が大好きなのだと思っていたら、実は大っ嫌いだったのだ。
小学校あたりで、8月はまた来るけど、20xx年の8月はもう来ないのだ、一度きりで、ということを初めて飲み込んだ。それまで、まあまた夏なんて来るから、と特に季節を惜しむことなどなかったのだが、気づいてからは「去年の夏はどこへ行った?」という疑問、悲愴、やりきれない思いで一杯になっていった。1番大きかったのは父親の死かもしれない。8月31日は毎年やってくるが、もう父はこない。
そうやって、世界や自分が移ろいで止まらないことを承知していながら、ここにとどまろうとしないわけにはいかない、無常を必死で拒む、というのが私の性格だった。
しかも大問題なのが、私は自分のその世界観が大好きなのだ。好きすぎて曲にしてる。詩をみていい詩だな〜と思う。気持ちの悪い女である…


イエスしかし、そんなダメ女に世間が優しいわけないのだ。今が大好き!1ミリもうごきたくない!となると大抵の人間は現状維持どころか後退する。私だってわかってるし、みんなもわかってるから責める、責められてぐうの音も出ず。もうそんなこと歴史や経験が教えてくれているのに、苦しいだけなのに、私はそれを手放せない。
それは自分の大好きな部分というのは、アイデンティティとほぼイコールだからであった。アイデンティティを喪失し、自分のどこを好きになればいいのかわからなくなったら、それこそ私はSOSだ。その恐れが、私をここに立ち止まらせている理由である。ここから抜け出すには、1度丸腰になる必要があるのだ。恐ろしいことだ。


…いいや、本当はわたし、肯定してもらいたいだけなのかもな、今も昔も。自分の欠点の詰まった音楽や文章を作り、それを肯定してもらうことで…
話変わるけど芸術ってすごい。なにがすごいって、欠点を「好き!」と言ってくれる人が現れるのが芸術なんですよ、すごいです、欠点ごとまるごと愛してくれるっていう、母の愛並みの力を持ってます。急に敬語なった。
無条件の愛をみんな求めてやまないですよね。え?私だけ?そんなまさか…


女に産まれた人は誰しも感じていると思うけど、「女としての価値」はある時期を頂点にしてからはずっと下り坂だ。性的な対象としてみられるとか、きらびやかでそこにいるだけでいいよメシ奢るよ、と求められるような価値。もちろんそれは俗的な価値でしかないのに、そればかりが自分の価値だと思い込む。というか、社会がそればかり欲しているのに気づいている。「女としての価値」が「人としての価値」とイコールになってしまうという、なってはならない状態に陥ってしまうのだ。まあいまの私なんだけどね!
そうやって「若いから」「かわいいから」「いい子だから」と条件下心丸出しで求められることしか知らない女にとって無条件の愛とは、喉から手、場合によっては足まで出すぞというぐらい、欲しいものなのだ。とにかく、それがあってからが女としてではなく1人の「人としての価値」を自分で育てるスタートになる。あなたがそこにいてくれるだけでいいという、本来母親が与えてくれるものである愛情。なんか親子関係にまで話が飛び火しそうなんでやめよう。涙も引いてきたことだし。

こんな無名でニート志望の女子高生の散文など、だれも目にとめないということは最初からわかっている。わかっていても書く。これは誰でもない自分のために書いているのだ。音楽を作るのもそう。ああ、そうやって自分のために将来のことを考えたり勉強をしたりできないのは何故なのだろう。解決策のないダメ出しはずっと終わらず心の中に溜まるだけだから嫌なんだ。

われよい

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毎日

このあとすぐ彼と会える
たぶん20分後ぐらい
いや もっとはやく
会って家に行って
他愛のない話をしたあと
ちょっと遠出したらエスカレートして
どこかへ行くとおもう
これは予定
じゃなくて願望
どちらでもいいのだけど
わたし本当にあの人と会えるかしら
例えばこの電車が脱線したり
殺人事件に巻き込まれたり
テロが起こってなにがなんなのかわからないまま死んでしまうのも不思議じゃない
地震だってそう
それどころか
もしかしたら地球が終わってるかもしれない
それも5分後ぐらいに


そうして1秒先のこともわからないまま
こうして死んでゆくのかなと
あなたと会って陽が沈む
毎回そうであってほしい日

 

 

未来はだれにもわからな〜い!アソーレワカチコワカチコ!!われよい、いざよい、たまごです。漢字にすると我酔い、十六夜と書きます。若者の自殺率だけが伸びている今です。希望閉塞感、ありますか?わたしはあります。受験です。あ〜みんな当日下痢してくんねえかな…

若者の自殺率の上昇はググれば他にたくさんソースが出てきますが、なぜ若者に希望閉塞感があるのか?あんまり話に出てこなくて、触れたら地雷的なものになってるのかもしれない。どう考えても日本の未来が暗いからだよな!

テレビでは「日本は良いところがたくさんあって、とても素敵な国なんです!」なんてアピールをたくさんしてますが、弱っている人間ほど自己肯定する言葉を口にして自分に言い聞かせたりするでしょう。あれと同じです。本当に良い国はそんなこと言ったりしねえよ。日本は確実に弱ってる。という発言の最後に「18歳・学生・女」ってつけると説得力が全くなくなるので面白いですね。そんなこと言いつつ、日本に住んでるし、日本語をしゃべるし、日本しか知らないし、日本が好きです。

話が飛躍しますが、未だに日本は男性が圧倒的に強い国だと感じます。社会進出だとか、色々あるけれど、もっと深くまでその価値観は及んでいる。例えば漫画のキャラクターで、良いイメージのキャラクターに「意味のないおしゃべりをする」「情緒不安定」「問題解決を目的としない」やついます?中々いないよね?これらは全て女性によく見られて且つ男性にはあまり見られない特徴です。逆に「大切なこと以外あまりしゃべらない」「メンタルが強い」「問題解決能力に優れている」これらは全て男性によく見られて、女性にはあまり見られない特徴です。(傾向にある、というだけで全員がそうなわけではない)今良いイメージが浮かんだ人はカチカチの日本人だ!まあ男性が社会的に強いのは歴史が証明してきてるので、どの国もそうかもしれませんね。わたしは世界を知らないのでわかりません。

このように、良い悪いの価値観さえ男性が強くなっているような気がしてなりません。強いものが正義とよく言いますね。かわいいは正義?そりゃ卵子が新鮮でオメーら男が種づけしやすいからだろが!殺すぞ!

ドラマとかでよくある「妻のことをお前と呼び命令口調で話す夫」みたいなのが本気で嫌いでムカムカします。そんなものをテレビで流すなんて、ほぼすり込みじゃないか。亭主関白など糞食らえ、男性主義も糞食らえ!と言いつつ、長いものに巻かれるのがラクだから、従順になる女性が殆ど。だって自分でなにかを変えようとするのはつらいことだもの。だから男性レベルで動ける人ばかり賞賛される。女性の社会進出がなんだーかんだーて言われてますが、女性が社会に出る気力と、社会が女性の特徴を理解しその上でそれを活かしましょうという流れが同発しないと無理そうだなと思いました。

「18歳・学生・ニート志望」

さしすせ

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生きとし生ける現代人


徹夜明けの粗末なファストフード店で
飲んだ水は疲れて熱をもった喉を
確実に冷やしながらすべり落ちる
ああなんだわたしって生きてた
死にかけのような目のくま
こんなになるまで気づけなかったのか

鈍りすぎてしまったのかもしれないな
危機というのはつまり生きるために感じるものだし
平和なのか
とげとげに張り巡らせていた神経は
いまは丸く
ツヤがあるほどだよ
だからさわっても 痛くないよ
わたしにさわってよ
ねえさわってよ
客は知らない男が3人だった
ねえ


(さみしい)

 

 

さしすせ走馬灯〜たまごです。カラオケオール明けで脳のパフォーマンスが最低なときに彼氏からの連絡待ち遠しく書いた詩。月日って無慈悲すぎませんか?もうそのへん中原中也が書いた「汚れっちまった悲しみに」で簡潔に語り尽くされてる感あるけどそのことを詩にせずにはいられない人たくさんいるはず、だってほんとに清々しいほど残酷なんだもん…ドラえもぉん。あと画像は文化祭のあとどれだけ急げばナカノは4番さんのライブに間に合うか計算してたときのメモ。結局無理のニオイしか漂わなかったので断腸の思いで文化祭を楽しみましたとさ。

例えばクジラやイルカが哺乳類ながら海で生活できる形になったり、ゾウの鼻やキリンの首もアホみたいに長かったり、あの手この手で創意工夫して生物は多様化してきたけれど それってなんのためかと言われたら生きるためただそれ一点だと思うわけ。そう考えたら、人間とて同じなんじゃないか?と思うわけ。嘘くせえ顔したカウンセラーが「多様性を認めるってことよ、わかる?」とか言うくらい人の性格もハンパねえ多様性があって、じゃあなんで多様化してきたか?生きるためじゃないかしら。例えば虐待をうけていた子供が無感情な人に育つのは、感情を持っていたら辛すぎて生きていけなかったから、感情を無くすというある意味自分がラクになる選択をしただけで、苦労のしすぎで考え方が偏った人は、考えるのを減らすことでよりラクに苦労を乗り越えたのではないか。ストレスは精神的あるいは肉体的な病の原因になるから避けたいのはあたりまえ。

江野スミさんの漫画で 強い試練を乗り越えるには強い肯定が必要だ、と神水まなむがしゃべってたことも、また、ラブホスタッフの上野さんが 人間はラクなほうにしか行けない、と言っていたことも、つながってくる気がします。じゃあほとんどは偶然じゃなくて必然?そうかもね、パラレルワールドの先に行っても、元の世界とそこまで変わらないことがほとんどだから。

さいげつ

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歳月


爪や髪というものはじっと見てるだけじゃちっとも動かないのだが、ある日ふと見るとなぜか、身に覚えのない長さになっている。時計の針もそう。見つめているあいだは大して動かないのに、わたしがべつのものを見ているあいだに進んでいる。なぜか。それら事象の犯人は時間だ。しかし時間は目に見えないので犯行の現場は押さえることができない。見ることができるのは時間が変えていったものだけなのだ。
つまり時間はわたしが見ていないところでのみ動いているのではないか?起きているときは背後で、または遠いところで、あるいは寝ているときすべての場所で。そんなことを思いはじめてから、わたしの目が届かないところにあるものはすべて、わたしにとっての時間になった。

どうして待ってくれないの
そんなに急いでどうするの

それだから好きなものはいつでも身につけていたいし、好きな人の側にはいつまでもいたい。目を離したすきに缶バッヂは錆びるような、さようならした瞬間にあなたは時間と化してすがたかたちを変えるような恐怖だった。それはわたしだって例外じゃない。いつの間にこんな大きくなったのだろう、生まれたときは3000グラムだったそうだ。いつから少女じゃなくなるのだろう、いいやもしかしてもうとっくに少女じゃないのか?鏡を見たらまだ制服を着ているわたしがいたから安心した。じゃあ、脱いだら少女じゃなくなるのか?そんなはずない。

もし明確に、明日からは少女じゃないというくぎりがあるのならわかりやすいけど、そうではなくて明日も明日もその明日もわたしの身体はたいして変わらないのが当たり前。それが続けばいつまでも少女でいれるような気がするからたちが悪いのだ。時間が目に見えないせいで、しばしば永遠を錯覚する。

途方にくれた朝が嘘のように夜が来てあなたは帰る
改札に消えるあなたは時間になろうとしていた
振り返らないその背中はまるで歳月

 

 

うっわなげーたまごです。長くて読みにくい文章は本当に言いたいことがわかってない現状を表しています。賢い人は話が短いのはそのせい。この詩、高文連ていうお堅いトコ主催のコンクールに出そうと思ってたんですが、少女という文字乱用してしまったのでボツです。なぜなら公にウケる作品は当たり障りのない作品だと決まっているからです。…なんか芸術のコンクールなのにその中でも個性がわかりやすい人ほど評価されるの変だよな。でもいつだってどこだってそうなのがこの世だし今日も頑張って生きてゆく。

「少女」という言葉、めちゃくちゃ美しいと思うんですけど、なんか誰にも彼にも使い古されて擦り切れてしまったというか。例えると、すごく綺麗な女優さんがいたとしてもクソダサい映画を作る監督に使いまくられてその女優さんまでダサく感じるようになってしまったみたいな。そういう状況にある言葉だと思うんですね。本当にもったいないと思うんですね。言葉の本当の美しさを引き出す努力、英語は勉強しないけどそれだけは頑張ってます。世間をワインに例えると底に溜まったアレみたいな人間です。ワインを作ったら必ず出てきてしまうんだから、しょうがないよね。